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12年生にお勧めの本

 

講義「経済思想」小レポート 2012

 

 


 

12年生にお勧めの本         梅田綾香  515

 

 私が大学12年生にお勧めしたい本は2冊ある。どちらも、自分の「生き方」について多くのヒントを与えてくれる素晴らしい本だ。

 まず1冊目が、マーク・マチニック著者の「後悔しない生き方」という本である。なぜ、この本を勧めるのかというと、私自身がこの本に非常に感銘を受けたからだ。当たり前のことだが、人生は、誰にとってもたった一度しかない貴重なものであり、何度も人生をやり直すことはできない。そのため、その人生をどのように過ごすべきか、どうすれば後悔しない人生を過ごせるかを各自が考えることは大切なことだろう。特に、社会人になる前のある程度自由な時間のある大学生のうちに、少しでもそれについて考えるべきではないだろうか。そして、この本は、そのきっかけとして読むのに最適だろう。私が考えるこの本の魅力は、とにかく読み易いという点である。この本は、全部で30個のトピックで構成されているのだが、それらは短いのですぐに読むことができ、かつ著者の経験に基づいて書かれているので非常に分かり易く、面白いものばかりだ。また、各項目の最後に問いが書かれていて、読者が自分自身について、問いかけることができるようになっている。たとえば、その中で、私が特に印象に残ったのは、「心の中の恐怖と向き合う」という項目である。ここでは、「慣れ親しんだ環境で今までと同じことを続けていても人間的成長がなく、後悔の原因になるだけだから、安全地帯から抜け出して、自分の新しい一面を見よう」という内容が書かれている。そして、最後の自分自身に問いかけることは、「安全地帯から抜け出さなければならない状況とは何か?」、「その状況でどんな恐怖と向き合うことになるか?」というものである。私がこれを読んだとき、まさに自分がここでいう安全地帯を好むリスク回避型の人間の典型例だと気づいた。特に、これまで就職について、自分が興味のある仕事は東京にあるが、慣れ親しんだ土地であり、友人も家族もいる北海道から離れたくないと考えていた。しかし、安全地帯(つまり私にとっては北海道)にとどまり、自分の夢を捨てることは後悔につながるのかもしれないと考えるようになった。このように、この本は、ただ著者の考えや経験を受け入れるだけでなく、それを通して自分を見つめなおし、考えるきっかけを与えてくれるので、12年生に是非お勧めしたい。

 次にお勧めしたい本は、石井希尚氏編訳の「超訳聖書 古代ユダヤ賢人の言葉」という本である。私は、特定の宗教観を持たない典型的な日本人だが、私がこの本を勧める理由は、この本が、様々な状況において、自分にアドバイスをくれるものであるからだ。この本の中には、人生の指針となるような深い言葉がたくさんある。私もその中の多くの言葉に勇気づけられた。たとえば、「耐えられない試練はない」ということである。具体的には、「直面している試練がたとえ、とてつもなく大きなもののようでも、それを乗り越えた人たちはいて、耐えることができるように、試練の中にも、必ず脱出の道がある」ということである。私は、この言葉から、試練が訪れた時に、ただ失望するのではなく、それをどのように解決すべきか、と前向きに考えることの大切さを学ぶことができる。このように現代においても昔の人から学べることはたくさんあるだろう。私もそうしているのだが、是非12年生には、この本を、一度読んで終わりというものではなく、何度も読み返し、人生のバイブルにしてほしい。

 以上に紹介した2冊は、どちらも生き方に関する本である。子供でもなく、社会人にもなりきれていないというような大学生の時だからこそ、読むべき本としてこれらをお勧めしたいと考える。

 

 最後に、諫山創氏の「進撃の巨人」という漫画をお勧めする。この漫画の内容は、人間が巨人に日々怯えながら暮らして、巨人と戦うものである。なぜ、これを勧めたいかというと、今の世の中を見ていると、しばしば人間の自己中心的な行動に疑問を感じてしまうからだ。たとえば、人間の利益だけを考えた結果の自然破壊、元は誰のものでもなく自然のものである土地をめぐっての争い、いじめ、虐待など自分より弱い人間を傷つける行動などである。私は決して、人間を完全に否定しているわけではない。しかし、この漫画は改めて、人間がいかにちっぽけな存在でしかないかということを考えさせてくれることのきっかけとなるだろう。また、人間以外の動物にとって、人間はこの漫画でいう巨人のような存在なのかもしれないと考えると、不思議な気持ちにもなった。このように、「進撃の巨人」は、人間より上の生物が存在するという斬新な内容であり、それ通じて現実世界の問題点も見えてくるという漫画である。この大ヒット漫画を、まだ読んだことのない12年生には、強くお勧めしたい。

 

 

 

経済思想 小レポート 514

経済学部経営学科3年 小田遼

 

 このレポートでは自分が大学12年生に薦める本について紹介する。推薦する著作を1冊ずつあげ、それについて記述していく。

 

・仲正昌樹『知識だけあるバカになるな! 何も信じられない世界で生き抜く方法』大和書房

 自分で考えられる人になるための方法論について書かれた一冊である。ともすればわかったつもりやレッテル貼りで思考停止に陥ってしまうが、そうならないための疑い方や学問へのつなげ方、学問の仕方について得られる所が多い。また、曖昧な「教養」について具体的なイメージを持つことができるだろう。学ぶということはどういうことか、学問するとはどういうことかをこの本から読みとって、学生生活のスタートダッシュをうまく切るために是非読んでほしい。

 

・倉田百三『愛と認識との出発』岩波文庫

 著者の青年期の考察をまとめた一冊で、内容は多岐にわたる。愛から信仰、認識論など、著者の言う愛生者としての哲学者のみならず、自らに対して真摯に生きようとするもの誰しもが考えなければならない対象についての考察のプロセスがこの本には納められている。特に推薦したいのが愛について述べられた数章、一体愛とは何か、愛の形態や本当の愛とはどのようなものかについての数篇である。人間の駆動因であるといってもよい愛についてここまで真正面から向き合い、苦しみながら考察した本を自分はこれ以外には知らない。

 また、同時に著者が20代にしてこのような論考を執筆したことに驚きを隠しえないだろう。その驚きを、自分を卑下するためにではなく、自分を奮い立たせるために生かしてほしい。そして、容易に解決できない問題にじっくりと向き合って、ストイックに考え抜くことの大切さを学んでほしい。

 

・ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』岩波文庫

 人格形成を描いた教養小説であり、クリストフの生涯の歩みが描かれている。数えきれないほどの困難に面しても、自分の目指すところに情熱を燃やして立ち向かっていくクリストフの姿は驚くほど力強い。彼にとって社会とは、あってもなくても同じようなものだろう。なぜなら彼は自らの信念に実に忠実に生きるだけだからである。周囲に自己をからめとられそうになっても、自己に忠実に、自我を貫き通すことの大切さ、それをこの作品から学ぶことができるだろう。余談だが、芸術家として岡本太郎に通じるところをクリストフは持っているように感じる。

 

・ジョージ・オーウェル『動物農場』岩波文庫

 かわいらしい動物の寓話ではなく、全体主義への批判が込められた一冊である。崇高な理念を追求するための革命が結果としては権力の肯定に代わってしまうという皮肉が描かれている。この小説を通して、よりよい政治体制とは何か、革命は是か非か、現実の政治だけではなく理想的な政治について考察するためのあしがかりとしてほしい。

 

・武者小路実篤『友情』新潮文庫

 人生だれしも誰かに恋をして何かしらを学んで、様々な経験をして成長していくものだと思う。この『友情』では、恋に自らを捧げる主人公のまさに青春の一時が描かれている。この本で描かれているような恋に自分を重ね合わせたり、何らかの感銘を受けたりするのは人生において感受性の豊かな時期に限られると思う。ポジティブではない経験でさえ昇華させてしまう強さ、そういったものを学びとれると思う。

 

・内田義彦『読書と社会科学』岩波新書

 一般的な読書方法とは違った読書論について書かれている。速読や精読といった技術ではなく、自らの眼も変えてしまうような読書の方法論について述べられている。単なる「読書」を超えた、認識の仕方や物事の捉え方にまで影響を及ぼすような一冊である。一体自分はどのように本を読むべきか、本の読み方、読書そのものを考えるきっかけとしてほしい。

 

 

 

経済思想レポート〜12年生にお勧めの本

           経済学部経営学科3年 鳥本晃希 17100034  513

 

私がお勧めする本はスティーブ・シーボルトの『一流の人に学ぶ自分の磨き方』(かんき出版)だ。最近でたばかりの本なのだが、読んでいて実に考えさせられる本である。この本は、普通の知能と才能の持ち主でも一流のレベルに達することは出来るということをテーマとしている。そして筆者が長年かけて研究した一流の人についての内容や、一流の人の話から得た共通点などが135の細かいトピックに分かれて書かれている。

 この本の特徴は大まかに3つある。1つ目は常に一流の人と二流の人を対比して書いている点。2つ目は、一流の人の思考・哲学・習慣の3つの面から実用的に書かれているという点。3つ目はトピックごとに一流に近づくための提案がなされている点だ。シンプルにまとまっており、非常に読みやすく、時間があまりとれない人でもすぐに読めてしまう一冊である。

 この本を紹介する理由を6つ挙げよう。

 第1に、この本を読むことで今までの自分が一流と二流のどちらに近い行動をしているか考えてほしいからだ。決して一流が偉いとか二流が劣っているということではない。しかし自分の考え方・行動・ライフスタイルがどちらに近いのか知るということは大変重要に感じる。

 第2に、この本を読むことで早い段階から将来の展望を熟考して欲しいからだ。この本では将来のビジョンを想像し、それに向けて日々努力することが重要だと強調されている。「まだ時間があるから大丈夫」「分からない」「なんとかなる」という考えはこの本を読むことで変わるだろう。決めなくてはいけないのではなく、早くから考え悩むことに意味があるということに気が付くことが出来るだろう。

 第3にこの本を読むことで‘幸せ’の意味を考え直すことが出来ると考えるからだ。この本では「二流の人がお金を求めるのに対し、一流の人は充実感を求める。」と書かれている。そして、「一流の人はお金のために働かず、仕事が好きだから働く。彼らにとってお金はおまけなのだ。」とも書かれている。この本を読むことで無駄な迷いや不安を拭い去ることが出来るだろう。

 第4に北大の学生には世の中をリードしていって欲しいからだ。北大の学生には高い意識の社会人になって欲しい。一流の人は自分が世界を変えていくという強い意識を持っているようだが、ぜひとも北大生にもこういった高い意識を抱いてもらいたい。まさに、クラーク博士の「少年よ大志を抱け」という格言を胸に刻んで欲しい。

 第5に生涯学習の大切さを理解して欲しいからだ。一流の人は大学を出てから本当の学習が始まるという意識を持っており、二流の人は高校・大学を卒業した時点で学習を終えたと考えるとこの本に書かれている。人は学習することで自己形成していくのであり、生涯学習は人にとって不可欠なはずだ。大学においても、単位を取れればそれで良いと考える人が大半だと思うが、そういうことではなく大学の授業も学習であり、自己開発・能力開発の一部と言えるという事がこの本を通じて多少なりとも理解出来るのではないだろうか。

 最後に、自分の価値観を固めすぎて欲しくないからだ。人それぞれ価値観を持っていると思うが、この本にも筆者の価値観が凝縮されている。中には同感出来ないものや、拒絶してしまう考えも当然にあると思うが、少なくとも1つくらいはこの本の価値観に同感できるのではないだろうか。この本には全135のトピックがあるので、この本を読むことで自分の価値観を細かく変化させることが出来るはずだ。ぜひともこの本で今の自分の価値観を成長させていってもらいたい。

 この本を紹介したのにはこうした理由があるのだが、なんといっても自分の意識を高めさせてくれるという点でとても貴重な本であると言えよう。また、自分のあり方・考え方を考え直させてくれる本でもある。この本が各人の自己開発への取り組みのきっかけ作りになるのではないかという期待を込めてこの本を紹介する。

 

 

 

経済学部 経営学科 松本凌(17100044) 2012/05/17提出

大学12年に薦めたい本について

 私が薦めたい本は、サッカー日本代表の長谷部誠選手が書いた「心を整える。」である。題名からもわかるように、この本は長谷部選手の自己啓発本である。サッカーへの関心の有無にかかわらず、多くの人が活用できるメンタル術が書かれていてとても参考になると思う。大学1,2年生はどちらかといえば時間に余裕があり、日頃の自分を見つめ直すことに適した時期だと思うので、ぜひこの本を読んでほしい。

 サブタイトルに「勝利をたぐり寄せるための56の習慣」とあるように、56項目のテーマについて長谷部選手が独自の想いをつづっている。まずは、3項目目の「整理整頓は心の掃除に通じる」について触れたい。ドイツには「整理整頓は、人生の半分である」ということわざがあるそうで、長谷部選手はこれに賛同し、ほぼ毎日心の整理もかねて整理整頓しているらしい。私も、大学生になり1人暮らしをするようになってからは整理整頓するようにしている。いろんなものが部屋中に散乱していると、どこか落ち着かないのだ。掃除をした後は、部屋がきれいになり、その後勉強などをするにも集中することが出来る。整理整頓することで、身が引き締まるという表現がまさにぴったりだと思う。

 次に、22項目目の「仲間の価値観に飛び込んでみる」について触れたい。長谷部選手は「失敗してもいいから、まずは近づいてみることが大切だと思う。相手だって、こちらが興味を持つと嬉しいものだ。」と言っている。大学には様々な考え方を持った人がたくさんいる。同じ部活やサークル、学部の中でもそれぞれ好きなものや価値観が違う人だらけだ。私自身、大学に入ってから服に詳しい友達や後輩に出会い、おしゃれに気を配るようになった。また、友達からあるバンドのCDを貸してもらったのがきっかけで、今ではその友達以上にそのバンドについて詳しくなった。大学生は、学部やサークル、アルバイトなど様々な形でコミュニティーに属することが出来る。社会人になったら、このように複数のコミュニティーに属することはなかなかできないように思う。つまり、たくさんの自分とは違った趣味や価値観を持つ人たちと関わることが出来るのは大学生の特権ではないだろうか。大学12年生はもちろん学業優先ではあるが、自分からサークルなどに参加して多くの人たちと交流していろんな価値観に触れ、いい意味で自分というものを形成していってほしい。

 最後に40項目目の「ネットバカではいけない」について触れる。長谷部選手は基本的にゲームやインターネットに時間を費やすくらいなら、映画鑑賞や読書、語学勉強などをした方がよいと考えているそうだ。私もゲームはほとんどやらないが、どうしてもネットサーフィンにはまってしまうと止まらなくなるタイプだ。レポート作成の休憩の合間にやっていたつもりが、気が付いたらネットサーフィンがメインになってしまったことも何度もある。私の友達にも似たような経験をしている人がたくさんいる。「息抜きも、度が過ぎたら時間の浪費だ」と長谷部選手は言う。その言葉が身にしみてくる感じだ。週末は家でゲームとパソコンをやって1日が終わるという大学生は正直多いと思う。これでは、せっかくの大学生活がもったいない。先に書いたように、大学12年生は自分自身を見つめ直す時間がたっぷりある。ゲームやパソコンに費やす時間を、読書や旅行に充てるだけで随分と変わってくる。長谷部選手の「ネットバカではいけない」という言葉は、私たち大学生を含めた若者に向けられたものであるように感じた。

 他にも、長谷部選手の習慣を見ていると、真似したいなと感じるものがたくさんあった。活字体が苦手で読書から遠ざかっていた人も、この本は読みやすく為になると感じると思う。プロサッカー選手の習慣ではあるが、私たちの日常にうまく組み込むことが出来るものばかりである。日頃の大学生活を見つめ直すきっかけにもなるので、ぜひ大学12年生の人たちには読んでほしい。

 

 

 

清閑な漢字の海に潜る〜1,2年生に薦めたい本〜      514

経済学部経営学科3 17100045 三浦正大

 

 私は、自分は読書家だと思っている。そのことについて高慢することも謙遜することもない。今回、お気に入りの本を紹介するというレポートを書くに当たって、『思考の整理学』や『チーズはどこへ消えた』、『マネジメント』『スティーブジョブズ関連の本』など所謂有名な本も思い浮かんだが、とりわけ一冊に絞るということで、最も自分の人生の見方を変えた本を紹介したいと感じた。

 さて、私が今回紹介する本は『福武漢和辞典』(ベネッセ・コーポレーション発行)である。タイトルの通り辞書である。三浦しをん著作の『舟を編む』に感化されたわけではないが、幼いころから読んできた本で、人生の考え方を変えた本である。なぜこの本が、私の人生の考え方を変えたのか説明するために、そもそも漢字とは何かという話をする。

 漢字は日本の文字言語の中でとりわけ頻繁に利用される文字で、中国から輸入したものである。表意文字という分野に分類され、韓国語のような文字自体が音のみを表す表音文字と異なり、文字一つ一つに意味を持つ。 この辞典の編者の言葉の文頭に「高度に発達した表意文字である漢字の字形の美しさと、表情や味わいに富んだ意味の豊かさとは、長い歴史の中で熟成されたものである。漢字は単にことばを表す記号的な役割を果たすだけではなく、(中略)、文字としては類例のない美術的効果を含む総合的な機能を持つに至っている。」とある。この辞書を手に取った19998歳の私は、この文を読んで難しいながらも、漢字はただの文字としての「漢字」だけではないのだと感じた。

 たとえば、「昜(you)」という文字は、「太陽が木を照らして、地平線にできた枝の影」を絵で表したもので、太陽が高くなれば影も伸びることから「上がる・伸びる・伸ばす」という意味を持っている。「陽」は「阝(陸)から上がる(もの)」、「湯」は「水(の温度)があがる」、「揚」は「手をのばす」という意味を表していることが読み取れる。英語も派生語など意味をつなげていくと理解しやすいというがその語幹のルーツはアルファベットを並べたものでしかないのに対し、漢字のルーツは情景を絵で表したものに由来している。つまり、それだけ他の文字よりも文字のもつ意味合いが強い文字であるということが理解できる。

 結局この本の何が素晴らしいのかといえば、文字ができる背景は必ず意味づけがあるということ、また意味づけのない文字はないということ。つまり、自分の行動や表現、言動には必ず動機づけや意味づけをする必要があり、現に自分がやっていることには必ず意味があるということである。「自分は何をやったらいいのだろう」や「自分には本当にこれをやっている意味があるのだろうか」と考えがちになる大学生の皆さんには、喧騒に塗れた世界から逃れ、是非漢和辞典を開いて文字と向き合い、静寂な漢字のアーティスティックな世界に飛び込み、一度心を落ち着けて整理してみる機会を設けてみるべきである。辞書を読むことが直接何かに繋がる訳ではないかもしれないが、今直面していることと関連付けて考えてみる際に、「漢和辞典」という本−選択肢−を参考にしていただきたい。

 

 

 

 

経済思想小レポート2

 

氏名 元木 浩介

学籍番号 17100047

日付 5月18日

 

はじめに

  このレポートは「大学1、2年生に薦める本」というテーマについて書いたものである。私は大学に入学したからには、深く教養を学ぶべきだと考えている。そのため、読書というものは大学生活において、かなり重要な部分を占めることになるのである。とにかくたくさんの本を読むべきであると思うが、今回のレポートでは私が読んだ本の中で、特におすすめであるものを挙げ、その理由を書いていく。

 

1冊目 新訂「孫子」(岩波文庫)金谷 治

  まず私が薦めたい本は「孫子」である。この本は中国最古の兵法書である孫子兵法を原文と読み下し文と現代語訳に平易な注を加えたものである。私がこの本を薦める理由のひとつめは、この本はすぐれた兵法書でありながら、その知識(戦略)を日常の生活にも活かすことができるからである。このことは孫子兵法に関してたくさんの書籍が、いわゆるビジネス本として発行されていることからも明らかである。しかし、そのようなビジネス本を読むのもいいのであるが、そのような本にはたいてい筆者の解釈が書いてあることが多く、それが間違っている場合も少なくないのである。そのため、まずは原文を読み、自分なりの解釈をしてみることが大切であると私は考える。その解釈がたとえ間違っていたとしても、他人の間違った解釈を迎合するよりもはるかによいことであると考えるからである。理由のふたつめは、この本は現代語訳が書いてあるため非常に読みやすくなっているからである。私もそうであったが、大学生になるまでほとんど活字の本を読んでこなかったものも少なくないであろう。そのような人にいきなり分厚く、難しいことが書かれている哲学書等を薦めても、読む気にもならないし、たとえ読んだとしてもほとんど身につくものはないであろう。その点この本は平易な現代語訳が書かれており、分量も他の新書と比べても半分程度というものであるため、大学生になったばかりの人にでも、ほとんど苦労なく読むことができるであろう。

 

2冊目 「これも経済学だ!」ちくま新書 中島隆信

  次に私が勧めたい本は「これも経済学だ!」である。この本は世の中の多様な事象を経済学的に考え、問題点や改善点を提示していく、という内容の本である。私がこの本を薦める理由は、この世の中について何か問題点を提示し、思考するためには必ず「経済学的思考」が必要になってくるからである。大学というものは社会にリーダーを提供する場であると私は考える。sy会で通用するリーダーというものはあらゆる事象を思考し、問題点、改善点を指摘できなければならないのである。そのため、大学にはいろいろな学部、学科があるが理系文系問わず、すべての大学1、2年生は経済学的思考を身につける必要があるのである。そしてこの本は経済学的思考を用いて、世の中の事象を検証していくという見本を読者に提示してくれているのである。そのためこの本を読むことによって少なくとも経済学的思考がどのようなものであるか、ということはわかるであろう。さらにこの本は先ほど同じで、かなり平易な文章で書かれており、読みやすいため、途中でやめてしまう人もそう多くはないであろう。

 

おわりに

ここまで2冊の本を紹介してきたが、二つに共通する点は、平易な文章で書かれており読みやすいこと、社会に出て役に立つことである。大学に入ったからといって急に難しい専門書などはよむことはできないであろう。さらに本を読むうえで最も大切なことは、最後まで読み切ることであろう。平易な文章で書かれていればそのことを容易にすることができる。さらに本を読むからには自分の将来、社会に出たとき、その後も生涯ためになるようなことを吸収するべきである。そのためここで挙げた二つの共通点を意識して薦める本を私は選んだのである。

 

 

 

経済思想 第二回目小レポート

『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート著 岩波文庫

                  鈴木智哉 17100077 2012/06/01 

みなさんはこんな疑問を感じたことはないだろうか。

「今自分の飼っているこの犬はどんな世界が見えているのだろうか」

「虫から見た世界とは一体どのようなものなのだろうか」

こうした問いを考えるときにヒントを与えてくれるのが、今回私のおすすめする本『生物から見た世界』である。

 この本はまず、それぞれの主体が環境の中のさまざまなものに対し意味を与えて構築する世界として、「環世界」という定義をすることから始まる。この環世界は動物がそれぞれ持っている独自の世界といえばわかりやすいだろうか。犬には犬の環世界があり、ハエにはハエの環世界がある。そして、それぞれの動物がどのような環世界を持っているのかということを明らかにしていくのがこの本の主題のひとつである。

 私が特に面白いと感じたのはこの本の中盤あたりに出てくるミミズの例である。ミミズは木の葉や松葉などその形に応じた扱いをするため、かつてはミミズの環世界には形に対する知覚標識があると考えられてきた。しかし、その説はある実験によって覆されてしまう。葉っぱの先端の粉末を葉の付け根に、付け根の粉末を先端にまぶすと、ミミズはその葉をまるで本物の先端と付け根であるかのように扱ったそという結果が得られた。ミミズの環世界においては、葉っぱは形によって認識するものではなく味によって認識するものなのである。

 この本で特に興味深いところは、自然科学という分野を扱っていることにもかかわらず、「客観」よりも「主観」を重視している点にある。普通、科学というと客観的に観測できるものに焦点を当てていますが、この本で考えている環世界とはそれぞれの生物の主観的な世界に着目したものである。環境そのものを見ようとすることももちろん大切だが、生物の行動を考える場合には、その中から生物が何を選びとっているかを考える環境世界について分析する方より重要であるといえるだろう。

 では、なぜこの本を皆さんにお勧めしようと思ったのか。それは今メディアを中心に飛び交っている「環境」という言葉について、もう一度考え直すきっかけを与えてくれるからである。環境という言葉が本来どのようなものを指しているかを考えるとき、この本は新鮮な視点を私たちに与えてくれる。

 皆さんは「環境」という言葉を聞くと、おそらく自分の見る世界、聞く世界、肌で感じる世界が頭に浮かんでくるだろうと思われる。しかし、この本の言葉を使って言えば皆さんが環境だと思っているものは、あくまでも皆さん自身のもつ「環世界」でしかない。本当の環境問題を論じようとする場合には、自分の環世界を想像力によって押し広げて、他の生物たちの環世界をも思いやる必要がある。

 これからは環境問題について一人一人が責任を持って扱わなければならない時代が来ると思われる。その中で環境に対するイメージを明確にするのが非常に大切な作業であることは間違いない。この本はその作業を手助けしてくれるものの一つとなるだろう。

 

 

 

経済思想

経済思想小レポート

「大学1・2年生に勧めたい本」

 

2012/5/17

経済学部経営学科3

17100093 牧野杏美

 

 私が大学12年生に勧める本は、野内良三著『日本語作文技術 伝わる文章を書くために』と千田琢哉著『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』である。

 

 一冊目の『日本語作文術』は、説得力のある、わかりやすい文章をどう書くかを教えてくれる指南書である。本書では、レポートや論文、ビジネス文書といった特定の文書の書き方を話題にするのではなく、多様な場所に対応できる汎用性の高い文章を問題にしている。目標とするのは、「達意」の文章だ。達意の文章とは、筆者の考えていることが正確に相手に届く文章のことであり、@読みやすいこと、A分かりやすいこと、B説得力があること、の三つの要件を満たしていなかればならない。そのような文章を書くために、文の長さ、読点の打ち方、語順、「は」と「が」の使い分け、段落の立て方、定型表現の扱い方などを丁寧に説明してくれている。

 私たちは普段、何気なく文章を考え書いている。大学生に至るまで、数々の文章を書いてきた。それにもかかわらず、日本語で文章を書くことについて技術的・実用的なことを教えられた記憶は数少ない。日本の国語教育ではほうっておいても日本語が身に着くという発想があるのではないかと思われるほどである。しかし大学生活では、文字数は少なくとも、短い感想文・レポートを書く機会が多々あり、説得力が求められる。何気なく文章を書いてきた身にとって、説得力が必要とされる文章をわかりやすく書くことは困難である。そもそも「わかりやすさ」を考えて書かれた文章がどれほどあるだろうか。

 ここで助けになってくれるのが、この『日本語作文技術』である。本書では、学校では教えてくれなかったこと、あるいは教えてくれてたけれどもきちんと教えてくれなかったことを重点的に取り上げられている。単文を意識すること、語順や読点に敏感になること、段落の構成や論証の仕方に気を配ること、など当たり前なように思えて出来ていなかったことが次々と現れてくるだろう。理系・文系関わらず、大学生としてわかりやすい文章を書くにあたって、大学1・2年の時点で読んでおきたい一冊である。

 

 次に紹介する本は、『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』という千田琢哉のビジネス書である。昨年あたりから書店の目立つところに置かれていたものだ。この本は彼がコンサルタントとして下した結論を100の言葉でまとめている。「そう、人間は、自分が発している言葉どおりの人生を歩んでいるのだ[1]」と文中で彼は述べ、そのために20代のうちに多くの言葉のシャワーを浴びることが必要とする。その方法は二つあり、人と会うこと・読書だと紹介している。本書では、この本を読むことで100の言葉に出会うようになっている。人生、仕事、時間、組織、勉強、情報、交渉、友情、恋愛、決断という10この項目それぞれ10の言葉が紹介されている。彼のこれらの100の言葉は時に辛辣であり、おそらく誰しもに様々な気づきを与えてくれるだろう。大学生は、自分で物事を選択し、行動することが多くなる世代だ。自分で何かを行った分だけ、自分の学生生活は充実したものになる。しかし、自分で選択していく中で、悩むことも多くなるかもしれない。その時に、このような価値観もあるのだと、彼の言葉を参考にしてもよいのではないかと思う。

 私にとって、自分に一番響いた言葉を紹介する。「忙しい人は、夢が実現しない。」というものだ。やりたいことがたくさんある。どんなに忙しくなってもやりたいことを諦めたくない。そのように感じていた時に見た言葉である。しかし、この言葉を見た時に、様々なものに手をだして知らず知らずのうちに全部中途半端になりそうであることを自覚した。太く短く、ということを実感した言葉である。

 人によって感じることは異なるだろう。しかし、このように、新たな気づきをもたらすこの本を大学12年生に勧める2冊目の本としたい。

 

 

参考文献

1. 千田琢哉『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』かんき出版、2011年。

2. 野内良三『日本語作文技術』中公新書、2010年。

 

 

 

経済思想 第2回小レポート(2012517)

経済学部経営学科3年  17100102  渡辺俊太

 

 本レポートは、「大学1,2年生に勧めたい本」について論じるが、私は『歴史とは何か』(E.H.カー著、清水幾多郎訳)を大学1,2年生に勧めたい。

 この本は、1961年にイギリスの歴史家であるE.H.カーがケンブリッジ大学で行った講義を書籍化したものである。この本の中で彼は歴史とは何かという問いについて自ら「歴史とは、現在と過去との対話である[2]」と答え、何度も繰り返しこの言葉を使いながら、事実や社会、個人、科学、そして道徳などと歴史を関連付けて論じている。そして最終的に「対話」によって歴史から教訓を得ることで、自国の停滞に対して警鐘を鳴らすことで結論としている。

 私がこの本を勧めたいと思った理由はいくつかある。それでは以下に一つずつ述べていくことにする。

一つ目は、単純にこのような難しい本に触れることで内容を論理的にとらえるトレーニングになるということが挙げられる。進級するにつれて専門的な分野に入り込んでいくと、それぞれの分野でそれぞれの難解な文を読み解く能力は不可欠なものになる。それに、大学を卒業した後もこの能力は使い続けるだろうから、早い段階から慣れておくことは重要である。また、これに関連して、筆者の主張に対し批判的な目を向ける能力を養うことも重要だと言える。これは、筆者の考えが完全に正しいという訳ではないからである。重要なのはやはり、「考える」ということである。

二つ目は、1,2年生という早い段階、言いかえると、将来の豊かな選択肢を有している段階でこのような本に触れることで、この本では「歴史」というように、専門分野に興味を持つ学生が現れるかもしれないことだ。今までの教育では受験のためにただ暗記するだけの学習になっているという学生が多いのではないかと思われるが、大学は違う。自分次第でどのような道へも進めるのである。そこで、多くの選択肢から自分の興味を見つけだすことは非常に重要である。

しかし、これらの理由だけでは他の学術的な本でも良いということになってしまう。それでは私がこの本を勧める意味がなくなってしまう。

そこで三つ目の理由を挙げたい。それは、大学という場で高等教育を受けるにあたって、カーの問いである「歴史とは何か」という根源的な問いについて考えることが重要だということである。これは、中学・高校などの大学以前の教育で取り扱うには学生たちの発達の段階などを考えるとなかなか難しいものであるし、反対に、大学を過ぎて社会人になってしまうとこのような問いを考える時間はないのではないかと思われる。したがって、大学生のうちに読んでおくのが良いと思われる。また、どの専門分野にも、その分野が確立するに至るまでの歴史を持っているし、各分野における偉人などについても同じことが言える。また、究極を言えば、我々一人一人にも今日まで生きてきた歴史がある。このように歴史という全ての物事に関連のあるものの根源に思考を巡らすのは有益なことなのではないかと考える。

最後に上述の理由とは違った観点から4つ目の理由を挙げたい。それは、歴史を、人生を豊かにするものの一つとしてとらえるきっかけを作る可能性があるということである。これは二つ目の理由と少し関連している。具体的に言うと、歴史に興味を持つことで、例えば旅行に行った時など、そこで見ることができる歴史的建造物や自然遺産に関して、歴史的な知識やその遺産に関係する偉人の歴史などの知識を持っていたら、それだけでその旅行に付加価値をつけることになる、ということである。小、中、高校や社会人の比にならない長期休暇をもつ大学生にしか長めの海外旅行などはできないと考えられる。そこで得られる以上のような体験は今後の人生に大きな影響を与えるかもしれない。特に、現在の、グローバル化が進んだ世界において、世界に目を向けることは重要である。この本はそのきっかけを作りうるのではないか。

以上の4つの理由から、私は『歴史とは何か』を大学1,2年生に勧めたい。

 

<参考文献>

E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年。

 

 

 

201276

大学12年生に薦めたい本

 

経済学部経営学科 17100110 丑屋亜子

 

 私が大学12年生に薦めたい本はエーリッヒ・フロムの『The Art of Loving』である。題名の『Art』は技術を意味し、直訳すると「愛する技術」である。しかし日本語訳では『愛するということ』という題名で出版されており、『Art』の意味は反映されていない。

 これは愛するとはどういうことかについて述べられた本である。著者のフロムは「愛は技術である」と主張している。愛の技術を習得するためには、理論に精通すること、習練に励むこと、技術を習得することが自分にとっての究極の関心事になることの3つが必要であるとしている。しかし人々は愛とは自分の中に自然に湧き上がってくる感情であると信じ、愛について学ぶべきものは何もないと思い込んでいるのが現状である。その前提として3つの誤解がある。第一に愛の問題を愛するという問題ではなく、愛されるという問題として捉えている。第二に愛の問題とは対象の問題であって能力の問題ではないとしている。第三に恋に「落ちる」という最初の体験と、愛しているという持続的な状態とを混同している。この本ではその誤解を解いたうえで、主に愛の理論と愛の習練について述べられている。

 私がこの本を読んで最も印象に残ったのが以下の2つの文章である。『愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込む」ものである。』(p.42-43 )『自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。だが、与えることによって、かならず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。(中略)とくに愛に限っていえば、こういうことになる―愛とは愛を生む力であり、愛せないということは愛を生むことができないということである。』(p.46)私は今まで能動的な意味でも受動的な意味でも愛は感情を意味する言葉だと思っていたので、この言葉は非常に印象的であった。しかし、自分の生命を与え、喜びを感じるということは私たちの普段の生活の中でもよく見られる。例えば、電車の中で高齢者に席を譲るということを考えてみる。まず席を譲るということは、物理的にいえば他人に席を与えることであるが、それだけでなく高齢者(他人)を気遣うなどといった気持ちや理解を与えることでもあるだろう。それは譲られた人だけではなく、その周りにいた人にも伝わっている。彼らの中には今度は自分が席を譲ったり、困った人がいたら助けてあげたりしようと考え、それを実行する人が少なからずいるはずである。また席を譲った人は、困った人を助けることができたという喜び等を感じるだろう。逆に何か困ったことがあったときには、他人に助けられるということがあるかもしれない。

 私は今まで「彼氏にずっと愛されるための方法」といったような自己啓発本に何となく違和感を抱いていた。というのは愛されようとする努力はしても愛しようとする努力はしないのかが疑問だったからである。もちろん愛さないということはないだろうが、特に女性向けの本には愛することよりも愛されることを重視したものが多いように思える。それゆえにこの本を読んで、その違和感がいくらか解消された。

 フロムは「愛する」ということについて今までの概念を覆すような独自の理論を展開しているので、愛について考え直す良いきっかけになると思う。この本を読んで私は深い感銘を受けたと同時に改めて愛について考え直された。何度も読み返したくなる本である。愛についてだけでなく人生についても見つめ直すきっかけになると思うので、ぜひこの本を強く勧めたい。

 

参考文献

エーリッヒ・フロム著鈴木晶訳『愛するということ(新訳版)』紀伊国屋書店 1991

 

 

 

2012/7/18提出

経済思想小レポートA

経済学部経営学科3年 本間浩大 17100143

 

 

今回のレポートのテーマは「12年生に薦めたい本」ということであるが、私が勧めたいのは、吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」という本である。

 私がこの本を読んだのは、ゼミの課題図書として感想文の提出をしなければならなかったから、というやや消極的な理由からだったのだが、今ではこの本を読んでおいて本当に良かったと思っている。なので、ぜひ12年生にもこの本を読んでもらいたいと思う。

 ここからは肝心のこの本の内容について簡単に説明したいと思う。この作品はコペル君という少年の周りで起こった様々な出来事と、それに関する彼の叔父の見解をまとめた「おじさんのノート」の2つが中心となって物語を形成している。コペル君が自分の周りの出来事を叔父に話し、それについて叔父さんも一緒に考え、自分の考えを二人がそれぞれ出し合って、考えることでコペル君が人間的に成長していく様を描くというのがこの本の中心であるように思う。この二人が話し合った主な内容は、ものの見方について・真実の経験について・人間の結びつきについて・人間であるからには・偉大な人間とはどんな人か、と実に多岐にわたることがわかる。そしてその一つ一つの議論が私たち読者に、「私たち人間がどう生きるべきか」をよく考えるよう提言しているように私は感じた。現に私がこの本を読んだ時にはコペル君の視点に立って読み進めていたのだが、そのたびに叔父さんの話や「おじさんのノート」の内容に感銘を受けることが多かったように思う。

 日ごろ、人間がどう生きるべきか、自分たちは物事をどう考え、どう行動すべきなのか、などとゆっくり考える時間を持つ人は少ないと私は思う。自分もそうであったが、そのような人にぜひこの「君たちはどう生きるか」を薦めたいと思う。ありきたりな表現かもしれないが、この本を読んで自らも考えることで、柔軟な考えができるようになったり、物事に対する視野が広がったりするのではないかと思う。自分もこの本を読む前と比べて、よりよい人間像について考えてみるなど、少なからず良い影響を受けた作品であることは間違いない。今では、ゼミの先生がなぜこの本の感想文を提出するという課題を出したのかがよくわかる。この本はもともと初めに書かれたのは1930年代のことなのだが、その時代に提言されたことが、現代を生きる自分にとって感銘を与えるものだったという点でも興味深いと思うし、ぜひほかの学生にも読んでほしいと考えた。

 

 

 

経済思想 小レポートA

「大学12年生におすすめの本」

17100150

山下樹里

517日提出

 

大学12年生におすすめしたい本として私が選ぶのは、西原理恵子氏著の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(理論社・2008年)という本である。まずはこの本の内容を紹介する。この本は著者の漫画家西原氏の人生がそのままつづられた自伝エッセイである。なぜ彼女は貧乏というどん底に落ちてしまったのか、そのどん底からどう這い上がってきたのか、彼女にとっての幸せとはなんだったのか、そして彼女にとって「カネ」とは一体何なのか、この本には彼女が様々な境遇から学んだ彼女なりの答えが書かれている。

1章は彼女の子供時代のエピソードである。小さいときから貧乏な家庭で育ち、酒乱な父、自殺した父に母とともに翻弄され、不良の道に進むも自らの居場所を見つけられずにもがいていた姿が書かれている。

2章は高校を退学になり、上京して美術大学に進学し、イラストレーターを目指した様子が書かれている。ある出版社の編集者に才能を買われたが、月収は目標の30万円を大きく下回る5万円だった。しかし彼女は粘り強く働き大学3年生のときにその目標を達成した。働くことが生きがいになってきていたのだ。

3章は一変して、「カネ」を失っていく様子が描かれている。無心に働くことで裕福な暮らしができるようになった彼女は、カネの落とし穴に落ちたのだ。ギャンブルにはまり、借金まみれになっていく。そのせいで友達も失う。カネを失うことで見えてくるものがあると書かれている。

4章と第5章には彼女のカネに対する思いなどがつづられている。また、戦場カメラマンであり、彼女と境遇が似ていた彼女の旦那について書かれている。その旦那はアル中になり、末期がんになり亡くなった。旦那の境遇と彼に対する感謝が述べられた内容となっている。

生きていくという全ての行動に付きまとってくる「カネ」という存在のすばらしさも恐ろしさも体験した西原氏だからこそたどり着いた答えが書かれている。彼女は一言こう言う。「貧乏は札束ほどにリアルだった。」と。

なぜ私がこの本を大学12年生にすすめるかというと、普段難しい内容の本を読んでいる人も、全く本を読まない人も気軽に手に取れる本だからである。文体も会話調になっていて、イラストも入っているので読みやすく、早い人なら1時間で読めてしまうと思う。小学生でも理解できる内容となっている。だからこそ息抜き程度でかまわないから読んでほしいのだ。この本の表紙は1万円札の福沢諭吉が大きく載っているので目を引くものとなっている。私自身この表紙に興味を持ち読んでみたのだ。カネが無いことの大変さ、そこから這い上がっていくことの力強さ、大金に目がくらみカネを失っていく愚かさ、そして旦那を失った今、子供たちのために生きていかなければならない責任、誰もが体験するかもしれないことを西原氏は自らの体験を教訓に教えてくれているのだ。あとがきで彼女は、「どんなときでも働き続けることが希望になる。」「働くことが生きることなんだよ。」と述べている。この言葉が、働く意味を見出せていない多くの大学生に良い投げかけをしてくれている気がするし、私も少し影響を受けた。だからこの本をすすめるのだ。

西原氏の半生を描いたこの本は山田優主演で2010年、『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』というタイトルでドラマ化されている。また、この本の内容とは直接関係はないが、西原氏の結婚生活が描かれた『毎日かあさん』という映画も小泉今日子主演で2011年に公開されている。どちらの作品も、どんな境遇であっても笑って明るく生きていこうとする西原氏の生き方がそのまま描かれた作品となっているので、この本とあわせて、ドラマ、映画もぜひ触れてほしい作品である。      

1,543字)

〜出典〜

西原理恵子(2008) 『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 理論社

『崖っぷちのエリー〜この世でいちばん大事な「カネ」の話』(2010

『毎日かあさん』(2011

 

 

 

経済思想レポート

平成24年 517

経済学科 17100152 吉田直樹

 

 私が推薦したい本は「あの戦争はなんだったのか〜大人のための歴史教科者〜」(新潮新書 保阪正康著)と「戦争の日本近現代史〜東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで〜」(講談社現代新書 加藤陽子著)と「戦後を語る」(岩波新書 岩波新書編集部編)である。第二次世界大戦は今の日本について日本人として語るならば目を背けてはならない事実であり、是非とも考えなければならない話題であると考える。第二次世界大戦を知るうえで上記に三冊は明治維新から述べられており、背景をつかむことができる。また、教科書のような歴史的事実の羅列ではなく、どのような場面・論点において政治家や国民が、「だから戦争に訴えるしかないのだ」という共通認識を持つに至ったかが述べられている。そして「戦後を語る」によって戦争から何を活かして、その後の日本が動いてきたのかを知ることができる。以上より私はこの三冊を推薦したい。

 まず、「あの戦争はなんだったのか」についてであるが、保阪氏は極めて左翼派であり、つまり当時の軍部対して批判的に戦争をとらえ、あのような目的も曖昧な戦争を三年八か月も続けたのかの説明責任がはたされていない事、戦争指導にあたって政治、軍事指導者には同時代からは権力が賦与されただろうが、祖先、児孫を含めてこの国の歴史上において権限はあたえられてなかったことの二点について太平洋戦争批判している。「あの戦争はなんだったのか」では戦争の内容、表舞台に出ていないことなどが詳細に述べられている。高校までで学んだ日本史が本当に戦争の表面しか扱っていないかがよくわかる。日本においては終戦した日付は815日であることが常識とされているが、世界的に第二次世界大戦の終了した日は92日であるという。このようなインパクトの強い、知らなかった事実を知ることができる。

 「戦争の日本近現代史」は「あの戦争ではなんだったのか」で説明不足であった戦争がおこった背景について述べられている。なぜ日本は朝鮮半島が必要であったのか、なぜ満州事変がおきたのか、なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか等、国民が「だから戦争はやむを得ない」と思わせる当時の日本の情勢について知ることができる。時代背景が事こまやかに記されているので戦争を経験していない世代でも国民が一致団結できるまで戦争をしなければならない心境に陥った理由がわかる。

 「戦後を語る」は、戦後どのような人がどのような思いをしたのかが述べられている。著者群にはマンガ家水木しげる氏やアイヌの知里むつみ氏や政治学者の姜尚中、医者、旧満州の戦争孤児など様々な人物が様々な視点から戦争を見つめなおしている。どうしても日本的な視点からしか戦争を見ることができない僕らにとってどのような人物が戦争でどのような立場にいてどのようなことを考えていたかということは新鮮である。戦争とは何かと戦争経験者に尋ねても「南方の戦線に動員され、銃撃戦や飢えを潜り抜け命からがら生還した」と答えるかもしれないし、またあるものは「一日中、塹壕の穴を掘っていた」、「死ぬつもりで敵に突っ込んでいった」などと答えるかもしれないし、「日本兵に捕虜にされていた」、「日本兵に虐待を受けた」などと答えるかもしれない。教科書に記述があったり、学校教育の一環で戦争経験者の話を直接聞いたりするかもしれない。しかし、このことは日本人の話であって、決して第二次世界大戦のすべてではない。私達は従軍慰安婦のことは聞いたことあっても、直接話を聞く機会は学校では作ってくれない。

 私がこの三冊を読んでいただきたい理由はこの三冊が各本の弱点を上手に補っており、三冊を読むことができれば、明治維新から戦後現代まで日本の戦争に対する理解がより深まるからである。特にこの三冊は「戦争の話は高校の日本史で学んだから興味ない」と思っている人や「戦争の話は思想などが絡まってきて手に取りにくい」と思っている人に読んでもらいたい。様々な思想の著者が書く事実に、時には驚き、時には憤り、自分の戦争への認識の甘さを痛感するだろう。私はこの本たちを読んでみて、日本人として戦争を見て見ぬふりするのは恥ずかしいと感じた。

 

 

 

僕が君たちにすすめたい本:『二十歳の原点 高野悦子』

経済学部経営学科17100169 木内勝也

 

「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」

 

 近年、「自分探し」なる言葉が流行して久しい。本当に、世界のどこかには「本当の自分」がいるのだろうか。いや、そんなもの見つかるはずがない。なぜならば、幸せも希望も勇気も愛も反抗も、すべて自己の中にあるのだから。

 

 大学12年生といえば、20歳前後だろう。思うに、若さというものは、賞賛され美化される一方、危険で残酷なものだ。君たちは感じ取ることができるだろうか。全共闘、東大抗争、機動隊、シュプレヒコール、そして挫折…と、高野悦子の「20歳」は、学園紛争の嵐の中にあったことを。彼女は動乱の中で何を思っていたのだろうか。

 今の若者はエネルギーがない草食系だとか、言われたことだけしかやらないとか、そんなくだらないことを言うつもりはない。ただ、今も昔も若いときは、複雑怪奇な自己に向き合うすべを知らないのだ。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、人間は誰しも多重人格なのかもしれない。いつもはそれと気付かぬまま生活している。自分が知らない「自分」は、自己の内部にうようよ生息している。

 

 『二十歳の原点』では、青年期の挫折と葛藤が叙情的な詩とともに綴られている。高野悦子の綴る文章は、純粋ゆえに痛々しい。若さゆえの自信過剰さと矜持を持ちハツラツとしていたかと思えば、いつのまにか孤独感・焦燥感に苛まれコンプレックスに悩まされ、揺れ動く思いが感情のおもむくまま吐露されている。例えば、感情の起伏が激しいときは、日記の日付に曜日や天気は書かれていない。これはきっと、具体的に曜日や天気を省くことで、心理的に「自己に敗北する自分」をどこかへ追いやりたいという気持ちがあったからだろう。

 私自身も「気分屋」であったから、高野悦子の揺れ動く心にシンパシーを感じた。やるせなさや虚しさ。いつの時代も若者は、自己を懐疑し、否定して自己を乗り越えていかなければならない。では、自己を止揚するためにはどうすればいいのか。大人は言う、「大学にいってからそこで考えればいい」と。

 

ここで、私の印象に残った部分を引用したい。

――青春を失うと人間は死ぬ。だらだらと惰性で生きていることはない。今の、何の激しさも情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばよいのか。独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己という個体の完成に向かって、ただ歩まねばならぬ。

 

 自分を疑い、否定しながらもなお生き続けることを強いられる生活には矛盾が生じた。理想の自己像と現実の自分の姿に整合性がつけられない。自分が何者であるか、誰も教えてはくれない。教えてくれるのは自分自身しかいない。 

 私自身の見方として、高野悦子は学生運動に心底傾倒していたわけでなかったのだと思う。当時、行動しないことは「敗北」であった。彼女をはじめ、多くの学生は寂寞とした寂しさや屈辱感に耐えかねて「闘争」に身をゆだねざるを得なかった。彼女が学生運動に参加したのは、「すべての絶望」への反逆の第一歩であり、自身の不信と嫌悪に対して「闘い」を挑むきっかけにすぎなかった。

 しかし、哀れにも彼女は自身の「本当の自分」に打ちのめされた。それは破壊的で悪魔的でさえあった。そして、惰性で生きることはない、と彼女は自分で日記に認めた通りに、自ら死を選んだ。

 もし、「とにかく生きることが尊いのだ。生きてさえいれば」と諭されていたら、自死を思いとどまったのだろうか。高野悦子なら、ばそう教えられたとしても、しかし、「それはどんなにかっこつけていてもゴマカシなのである」と笑うだろう。本当に知りたいのは「なぜ生きなければならないのか」ということであり、大人ぶって人生を達観した人間のふりをする生き方ではなかったのだ。

 

 20歳という大人と子供の中間地点を迎える君たちにはぜひ、自身の二十歳の原点を見つけてほしい。ただし、高野悦子に「そんなの、ゴマカシじゃない!」と笑い飛ばされないようなものを。

 そして、この本は10年後、20年後にも読み返してほしいと思う。自分の原点を巡る旅は決して終らない。

 

 なお、高野悦子のさらなる「原点」に触れてみたいならば、本作の続編として出された、中学2年から高校3年までの日々を記した『二十歳の原点ノート』、高校3年から大学2年までの日々を記した『二十歳の原点序章』をすすめたい。

 

 

 

経済思想2回目レポート 

『自由論』のススメ

 

516日 17100174 佐々木康太

 

1,はじめに

 本稿は、著名な古典派経済学者で、政治、哲学者でもあるJ.Sミルの『自由論』(1859)についての推薦文である。また同時に、古典的思想書を読むことの面白さについても述べていくこととする。世間一般に思想書の持っているイメージが、固い文体で、アカデミックかつ難しいといったものであることは間違いないことだと思う。しかし、実際はそうではなく、思想書が、感動的な映画、あるいは心躍らせる冒険譚、もっと言えば、可愛らしい女の子が登場するアニメーションよりも、はるかに、ドラマチックで、寝るのを忘れて読みふけるようなものであることを紹介したいのである。したがって、私は、思想書を読むということが高尚であるから読むべきだと言うつもりはない。無論、思想書を読んでいるというだけで、賞賛されることはあるだろうし、実際賞賛されて悪い気はしないだろう。しかし本稿で私が述べたいのはそういうことではなく、単純に読み物としての思想書の面白さについてであり、ミルの『自由論』のエンターテイメント性についてである。

 本稿における『自由論』は山岡洋一訳の、日経BP社で発行されているものである。日経BP社は他にもマルクスの『資本論』、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズの倫理と資本主義の精神』などの名著を平易かつ明快な翻訳で出版しているのでそちらもあわせて推薦したい。

 

2,ミルの人物像

 まずは簡単にJ.S.ミルの紹介をしたい。ミルは1806年イギリスで、高名な功利主義者ジェームズ・ミルの長男として生まれた。ジェームズは功利主義的な教育原理に基づいて、ミルに自ら早期教育を行った。それはいわゆる英才教育であり、13歳を迎えるまでにミルはラテン語、ギリシャ語、政治学、歴史学、論理学、経済学などを修めていった。その一方で、ジェームズはミルが同年代の子と遊ぶことを禁止した。決して詰め込むだけの教育ではなかったにせよ、一般的な情操教育を受けることのできなかったことは、ミルに、自身を「作られた人間」だと感じさせるのに充分なものであった。

 ミルが21歳のとき、彼は後にその自伝で述べる「精神の危機」に陥ったという。その原因は定かではない。しかし、ジェームズの異常ともいえる英才教育が少なからず、青年ミルの心理に悪影響を及ぼしていたのは想像しやすいのではないだろうか。ミルは自身の存在の答えを知るため、ロマン主義や、サン・シモン主義について学び始めることとなった。

しかし、そんな憂鬱のなかにいたミルに転機が訪れる。一人の女性と出会い、恋をすることになる。彼女の名はハリエット・テイラーで、ミルと出会った当時は人妻であったという。当時の倫理観念からすれば到底受け入れられない恋(現在もそうであるが)は、ミルを危機から救い出すこととなった。1858年、ミルはハリエットを失うことになるが、彼女と交わした議論はミルの思考に多大な影響を与えた。『自由論』のまえがきでは、当時すでに亡くなっていたハリエットへの想いが書かれている。ミルの特徴である、女性の権利の主張も、ハリエットの影響は強いだろう。

 以上が簡単なミルの人物像である。私が考えるに、思想書を読む前にまず、書いた人物の人となりについて調べることは、思想書をより面白く読むための必要条件である。なぜならば、著者の姿を思い描きながら読めるからだ。想像の中の著者は、無味乾燥に感じがちな思想書に鮮やかな色を加え、私たちの心に直接語りかけてくるだろう。

著者についての調べ方であるが、ミルの場合は自伝を著しているのでそちらを参照しても良いだろうし、煩わしければ、思想関係の教科書を参照するのも良いだろう。私は本稿におけるミルのプロフィールを書くにあたって名古屋大学出版会の『経済思想史―社会認識の諸類型』のミルの欄を参照している。

 

3,『自由論』の面白さ

 『自由論』のテーマは、端的に言えば、社会がどれだけ個人の自由に介入できるか、である。また、ここにおける個人の自由とは、他者の自由を損なわないということでもある。

では、個人の個性は、どこまで自由に含めて良いのか。個性の重要性はどこにあるのか、それらについて述べたのが『自由論』第三章 幸福の要素としての個性である。そこでミルは以下のように述べている。

 

自分の生活の計画を自分で選ぶのではなく、世間や、身近な人たちに選んでもらっている人は、猿のような物真似の能力以外に、何の能力も必要としない。自分の計画を自分で選ぶ人は、能力のすべてを使う。(中略)人間は機械と違って、ある設計図にしたがって作られているわけではなく、決められた仕事を正確に行うように作られているわけではない。樹木に似ており、生命のあるものに特有の内部の力にしたがって、あらゆる方向に成長し発展していくべきものなのである。(J.S.ミル『自由論』第三章 幸福の要素としての個性 p130 )

 

 この節を読んだとき私は、衝撃を受けた。含蓄ある言葉である以上にミルの生い立ちがにじみ出た、いい意味で人間臭い言葉だと感じたのだ。小説でも上のような独白はある。しかし、それ以上にこの文は物語性があり、感動的だ。ミルの人生観が集約されたと言っても私は過言ではないと考える。小説の登場人物というのはどうしても2つの段階を経なければいけない。それはまず、作者の想像で誕生し、そして初めて言葉を発する。ところが思想書の登場人物は作者と同一で、想像というフィルターを用いない(ミルの場合、彼の「作者」である父親を振り切ったという想像の余地があるが)。これがエンターテイメントである小説以上に思想書がエンターテイメント性に優れている要因だと私は考えている。

 ところで、私は上のように解釈し、感動を覚えたが、解釈の仕方は一様ではない。ゆえに、読む人それぞれで解釈が異なるのは当然であり、様々な議論を起こすという意味で解釈の違いは有益である。解釈の違いを参照・議論し楽しむというのも思想書との付き合い方の一つではないだろうか。

また、思想書の場合、他の人物の思想との関係性・関連性を探すことも関心を掻き立てるものであろう。例えばミルは民主主義における「多数派の専制」の危険性について述べているが、これは後にノーベル経済学賞を受賞したF.A.ハイエクにも受け継がれている。しかし、ミルが、自由主義と社会主義の過渡期の学者であり、両者の折衷的な考え方を持っている一方で、ハイエクは社会主義、あるいは、社会民主主義が全体主義国家に繋がるとして批判し、本来の自由主義への回帰を訴えている。すなわち、必ずしも、ミルとハイエクは同一の主張を持っていたわけではない。しかし綿々と受け継がれている思想を発見することは、非常に興味深く、更なる読書へと連鎖してゆくだろう。また、作中で度々引用される書があれば、それを読んでみようという気持ちにもなるかも知れない。つまり、思想書を読むことは他の思想書を読もうとするインセンティブになるのだ。

 

4,最後に

 『自由論』の面白さ、また思想書の面白さについては上で述べた通りである。しかし、上で挙げたものはそれらの一部分に過ぎない。思想書は一度読んだだけでは、理解できたとは言えないし、何度読んでも新しい発見がある。一読目は読了まで時間がかかるかもしれないが、二読目以降は大分時間が短縮されるので読みやすくなるだろう。また、好きな部分を繰り返し読むのも良い。古典的名作に触れることはもちろん教養にもなるし、現代では当たり前となった思考の源泉、あるいは現代では失われてしまった思考の所在を明らかにするだろう。大学1,2年の時間のあるうちに思想書にチャレンジするのも良いのではないだろうか。

 

 

 

2012517

大学12年生に薦めたい本 『「常識」としての保守主義』 桜田淳著、新潮新書

経営学科3年 17100177 杉本和也

 私が大学12年生に薦めたい本は、桜田淳氏が著した『「常識」としての保守主義』(新潮新書)という本である。これは2012120日発行と、比較的新しいものであるが、経済思想の講義に関連があるかと思い、読んでみたものである。内容は、私の主観でいえばかなり難しいものであったと思うが、ある程度の政治経済の知識があれば比較的読みやすく、納得できる部分が多いのだろうと思う。構成としては、保守主義とは何かということを第一章で述べ、第二章ではその保守主義が成立する条件を述べている。そして第三章では代表的な保守主義政治家を数人例に挙げ、具体的な施策などを見ていき、第四章で全体をまとめ、保守主義の可能性を見ていくというものである。

 なぜこの本を薦めたいかというと、もちろん自分が手に取った動機でもある「大学の講義に生きてくるだろう」とか、「基礎知識として知らなければまずいだろう」といったこともあるが、それに加えて、保守主義というものをきちんと認識できることで人間としての生き方も変わってくるだろうと思ったからである。もちろん、この本に書いてあることすべてが正しい、もしくは正確であるかは判断することができない。その中で、私が気になった個所が3点あった。

 まずは、この本で保守主義の中核と謳われている「中庸」の精神である。社会の変革を急激かつ劇的に推し進めようとする革新主義に対して、保守主義は変革には概ね慎重な姿勢を示し、それを推し進める際も漸進的であることを望む。革新派によって往々に生み出される議論は、「…しさえすればよい」というものであり、18世紀の革命などでも「王制下の身分制度を打破しさえすれば…」や、「無産階級が権力を握りさえすれば…」などといった安直な考えが広がっていった。この結果が間違いであったとは言えないが、保守主義が求めるものは「中庸」の美徳である。世の中には千差万別あらゆる人がいるために、政治に完全などというものはない。そんな中保守主義の政治において要請されるのは、完全はないという諦念を抱きつつも、社会矛盾の克服に向けて地道に努力を続けるという姿勢であると述べている。これは政治に限らず、日々の生活の中でも応用できる考え方であると思う。

 二つ目は、保守主義に必要な「柔軟性」や「ダイナミズム」の項で注目されている老舗企業の姿勢に言及された部分である。老舗企業が何十年も経営を維持している要因に、この「柔軟性」と「ダイナミズム」を挙げている。どんな老舗企業も、評判の良かった時代の業績にあぐらをかいていたり、時代に合わない振る舞いをしていては、努力の継承は途絶えてしまう。時代に適応する「柔軟性」と、変えるところは思い切って変える「ダイナミズム」を兼ね備えているからこそ、老舗企業が老舗企業たりえるのである。この部分は経営学科に所属する身としては改めて思い知らされ、非常に興味深いところであった。

 最後は国による保守主義思潮の基盤についてである。日本において保守主義思潮の基盤は、千数百年にわたって皇室を中心として独自の文化を気づいてきた軌跡に求めることができる。それから、第一次大戦後は「一等国」に列し、第二次大戦後は敗戦に沈み、しかしそこから驚異の復興を見せ、「世界第二位の経済大国」とまで呼ばれるようになった。いまとなっては「世界に好ましい影響を与えている国」の筆頭に挙げられるまでになっている。日本の保守主義が拠り所とすべきなのはこのような「甘み」と「苦み」に満ちた歴史であり、自らの「成功」に自信を持っても驕らず、「失敗」を肝に銘じても卑屈にならず、といった歴史への接し方を支えるのも、先ほど述べた「中庸」の美徳が求める姿勢なのである。これは二点目の内容と少し似ているが、良い歴史も悪い歴史もしっかり飲み込むことで、新鮮で良い歴史を紡ぐことができるということである。

 以上が個人的に感銘を受けた点である。私はこの本に書いてある政治・経済的な内容のすべてを理解できたわけではなかったが、難しそうな内容も違う視点で捉えることで日々の生活に対する自己啓発にもつながったと思う。一見難しそうな本も、読んでみると思いもよらぬ発見があると思うので、偏った視点にとらわれずに読んでみてほしいと思う。

 

 

 

学生番号17100192

経済学部3年  藤崎 祐貴

5月17日

経済思想レポート

選択した本「思考の整理学」著者:外山滋比古  ちくま文庫

 

 私は本書を大学1年生の時に読み、様々な知識や事柄を吸収していく機会に触れていくうえで非常に参考となることが多々書かれているので、本書を推薦したい。

 本書はまず学校教育の現状の考察から始まり、そこから湧き出てくる問題である「自ら考え行動する人間を生み出せていない」という問題点の原因を「パラグライダー」という比喩で表現している。今までの人間は、与えられた事柄をただ覚えるだけでよかったが、コンピューターの出現によりそれでは不十分となってしまったのである。これからもとめられている人間は、「生み出す」ことをしなければならないのである。

 本書が勧める学習というものは受け身の学習ではなく、自ら進んで行い、ひらめきやイマジネーションを生み出すというものである。そのようなものを生み出すためには多様な情報に触れるということが大切であるが、現在世の中は情報にあふれており、自分にとって必要な本質的情報とは何かを考え、情報を取捨選択していくことが欠かせなくなっているのである。

 情報を蓄積していくための手段は様々であるが、いずれにしろその機会を逃さないようにすることが重要なのである。面白いと思ったことはなにかに書き留めておいたり人に話したりすることで、その他の事柄と関連付けることができるのである。

 情報の蓄積が「生み出す」ことの源泉となるわけであるが、取捨選択したとはいえその情報量はあまりに膨大なものである。そのような情報を整理するためには、すぐに使うということに固執せず、まずはその情報を寝かせるべきである。情報を寝かし、取捨選択を行っていくことで、不要な情報を忘れることができるのである。忘れるということは人間の長所であり、また一種の学習なのである。

 私がもっともインスパイヤされたのは、「忘れる・すてる」ということの重要性についてである。筆者は「人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役割を果たし続けなくてはならないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考えだす工場でなくてはならない」と述べている。つまり、ただひたすら情報や知識を倉庫にため込むだけではなく、工場としての作業能率を上げていくべきであるということである。倉庫にある無駄な情報や知識というものはその作業能率を高めるうえでの障害となるものであるから、そのような不要なものを忘却し、整理していくことが重要なのである。そうしてどんどん忘れることを通じて、整理していくことで本当に必要なものだけが残り、工場としての作業能率が高まるのである。人間の頭をそのような状態にしていくことによって、ひらめきやセレンディピティというものが生まれやすくなるのである。

 現在求められているのはこのひらめきやセレンディピティを生み出す力であり、そのための思考の整理の重要性や、そのやり方などが比喩を交えて書かれており、古い本であるが、その考えは今でも通じるものである。これから多くの情報に触れる機会をもつ人間に、是非勧めたい一冊である。

 

 

2012517日 17100301 細越 大毅

『大学12年生におすすめの本』

 

 私のおすすめの本は谷崎潤一郎著『春琴抄』である。この本のあらましは、盲目の三味線師匠である春琴のことを生涯通じて愛し、精力的な献身で仕えていた佐助が、後年、何者かに顔を傷つけられた春琴を思い、自らも盲目となって愛を示し貫くというものである。なぜこのような常識的に考えて割に合わないような行動を取る、よもや少女趣味的発想でしか理解できないような主人公の小説をおすすめするかというと、この小説には大学生をやる上で重要だと思うことが色濃く反映されていると考えるからである。それをこれから説明していこう。

 単刀直入に述べると、その重要さとは自分の常識を疑うという点である。経済学を学んでいると、人間とは理性的で合理的な行動を取るものだという前提のようなものができてしまい、またそのような人間像を理想的な姿だと思い、人間のあるべき姿なはずの多面性や、内在する感情の矛盾を蔑にしてしまいそうになる。少し想像してほしい。佐助のような傍からみれば自分を犠牲にして主に仕えている人間が幸せであろうか。おそらく多くの人はそれだけで否と答えるはずである。いくら愛する人間と24時間一緒にいられると言っても、一人になれる時間も自由もなく、まして娯楽に耽るなどの息抜きは不可能、おしゃれも出来なければ友達とも会えない、がみがみと四六時中叱られるだけで感謝もされない毎日は苦痛であり、ともすれば鬱になってしまいかねないのではないか?しかし、佐助はそんな環境に身を置きながらも、なぜなのか春琴を愛し続けるわけである。そして、この小説(佐助)が更に常軌を逸しているのは、愛する春琴が何者かから顔に火傷を負わされ美しい自慢の顔が台無しにされたと知るや、彼女の顔を確認せずして佐助は自らの両目を針で刺し失明することである。なるほど、愛する人の顔が醜くなるのを見たい人間はいないであろう。変わり果てた彼女の顔を見るのも、それを見た後の己の感情の変化に直面するのも怖いことだろう。積み重ねてきた過去の記憶でさえ揺さぶられるかもしれず、現実逃避をしたくなるのもわかる。しかし、いくら春琴が佐助に顔を見られたくないとはいえ、その言葉への応えが目を潰すことに繋がるとは甚だエキセントリックではないか?恋は盲目とよく言われるが、愛が盲目とは誰もいわない。その理由はこれほどまでに生臭いものであるからだというのか?佐助にとっては、後の人生で視力を失う不都合よりも、春琴の気持ちを酌み、盲目となることで春琴と“同じ”になることが至上の幸福であったのだ。

いくら小説、フィクションのこととはいえ、作者や登場人物との対話であることに変わりはない。(自分の考える)常識や価値観と“あわない”相手と対話するためには、自分の常識や価値観を疑うことを避けては通れない。それは徹底的に“ガチ”でぶつかり合うに越したことはないだろうが、その結果、価値観を変えようなどと言っているわけではない。自分とは異なる価値観を理解できる寛容さを生みだすためであり、より強固な自分を創るためである。自分と意見が違うからと言って切り捨てていては、懐の小さい頭でっかちで偏狭な人間ができるだけ。違いが何であるか確認することで複眼的な視点を手に入れることができるのだ。大学とは常識を疑う力を養う場と捉えれば、おのずから自らの常識を疑い、異なる常識をもつ人間を許容し理解しようとする試み、訓練は不可欠であると考える。その格好のテキストが『春琴抄』なのだ。

 

 

 

 



[1] 千田琢哉『死ぬまで仕事に困らないために20代で出逢っておきたい100の言葉』かんき出版、2011年、4p。

[2] E.H.カー『歴史とは何か』岩波新書、1962年、p.B。